5月10日(金)
今日は指揮者ミーティング。9時頃ホスト合唱団の団長、ベーレン団長および、ベーレン指揮者、通訳の恵さんとで参加した。
庁舎に案内される。いろんな国の指揮者、代表者が集まっていた。中国の合唱団の方々が親しげに話しかけてきた。インド、ノルウェー、フィンランドなどの指揮者の方とも話す。フランスの指導者の方々も昨晩のコンサートをとてもよかったと言ってくれた。
その後ロビーでドイツの合唱団の演奏を聴く。ジャズ風のおしゃれな合唱だ。
そして、ロレーヌ州の知事の歓迎の挨拶を聞き、シャンパンで乾杯、食事。デュペイ先生も一緒に昼食を食べた。ロシアの合唱団の指導者たちが我々の前に来て、なんと、「カチューシャ」を日本語で歌ってくれた。驚いた。
その後Loisyの公民館へ。ここで、地元の小学生の前でミニコンサートだ。フランスの子どもたち、とても可愛らしい。私たちの演奏楽しんでもらえたのだろうか。
演奏会終了。ホストファミリーと共に、Pont-a-Moussonへ移動。町の古い修道院のような建物をみんなで見学。そこの礼拝堂は残響が8秒くらいある。これほど響くと、かえって歌いにくいこともある。
見学を終え、今夜のコンサート会場へ。仮設ステージの簡易ホールであった。フランスには日本のコンサートホールのような建物はあまりないらしい。この会場も音響的にはあまりよいとは言えないホールだった。もっとも、素晴らしく響く教会はいたるところにあるのだが。
本番、地元Les Hurte Loupsの皆さんの合唱。衣装に工夫を凝らし、動きのあるステージを展開。楽しそうだ。
会場はほぼ満席だった。町長さんの歓迎の挨拶と記念品をいただき、我々の演奏だ。音響は悪いが、PAをうまく使っているのよく聞こえているようだ。
ヨーロッパの合唱、大きな拍手を受けた。東洋人が西欧の音楽を歌うことを彼らはどう感じているのだろうか。
林光「原爆小景」全曲を演奏した。このツアーで唯一の全曲通し演奏になった。原爆の恐ろしさ、平和への祈りがどこまで伝えられただろうか・・・
民謡ステージは大いに盛り上がり、たくさんのアンコールをいただいた。
本当に暖かく、熱烈な拍手は感動的だった。
演奏会終了後、Loisyの公民館において、打ち上げパーティ。手作りのパーティだったが、美味しいワイン、素晴らしい料理が出され、心温まるもてなしを受けた。デュペイ先生も演奏会からパーティまでお付き合いしてくださった。深夜まで盛り上がり、終わったのは2時近かった。
5月11日(土)
バスでナンシーへ。ゼニットで全体合唱の練習をする。曇り空。雨が心配だ。その後、レセプション。各国の合唱団の団長、指揮者が呼ばれ、記念品をいただいた。
午後はスタニスラス広場に各国の合唱団が民族衣装を着て集合し、パレード。私たちは浴衣と法被で街角のカフェの前で演奏した。その後教会へ。ドイツとスウェーデンの合唱団に続いて私たちが30分間のステージ。小さな教会は満席のお客さんだ。今回は私たちの演奏曲をデュペイ先生がフランス語で解説してくれた。特に、水ヲクダサイや武満の作品などは解説のおかげで聴衆の皆様により理解をしていただけたのではないかと思う。ここでも、盛大な拍手をいただけた。
終わって外に出てみると雨。今夜が心配だ。大学の学食で夕食をとり、ゼニットへ。ゼニットというのは多目的イベント会場で、野外に一万席以上の座席のある、大きな会場である。雨も何とか上がり、いよいよラストコンサートが始まった。各国の合唱団が6分づつ自分たちのレパートリーを発表する。
各国とも民族衣装を着て、自分たちの国の歌を歌う。とても個性的であり、聴いていて楽しい。
ベルリンのジャズコーラス、アカペラのポップス。会場から喝采を浴びていた。イタリアの5人組のモンテヴェルディ、さすがだった。声がとてもよい。ベルギーの女声コーラス。素敵だった。フィンランドの指揮者もよい音楽を作っていた。インドは衣装が素敵だった。アメリカの若い大学生、天使にラヴソングさながらの本場のゴスペルを披露した。
ベーレンは一番最後の出番であった。直前のアメリカの盛り上がりに飲まれてしまったか・・・しかし、熱演した。

コンサートは11時近くまでかかり、ホテルに戻ったのはもう零時であった。

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