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ニューヨーク 戦争レクイエム公演 レポート 



12月14日火曜日 7時15分 松本文化会館

雨降り、この時期にしては気温は高めか・・雪ではなかった。
バス3台で松本文化会館を出発。予定は15分だったが、かなり遅れ40分過ぎに出発。
到着の遅れが心配だったが、予定通り13時成田着。

ニューヨークへ

デルタ航空ニューヨーク直行便DL172便にて。日本時間で14日午後3時15分ころ離陸。到着は日本時間で15日深夜14時55分、11時間40分程のフライトだった。現地時間では14日午後12時55分、日本とマイナス14時間時差があるために、なんと、2時間以上も若返ってしまったことになる。ジョン・エフ・空港の入国審査は長蛇の列。指紋や顔写真をとられて、入国出来るまでに1時間以上かかった。

ホテル着

私たちのホテル、ル・パーカー・メリディアンはカーネギーホールのすぐ近くだった。
5番街や6番街といった繁華街にも近く、買い物や食事にもとても便利そうだった。
チェックインして早速近くを歩いてみる。気温は氷点下、寒い。
近くの店で食事。ハンバーガー、美味しいが、でかい。
カーネギーホールには週末のコンサートのポスターが。去年の松本の写真だ。

12月15日水曜日

起床、早朝4時30分・・まだ時差の影響があるようだ。長野県よりも緯度の高いニューヨークでは夜明けが少し遅いようだ。
朝食をホテルのレストランでとる。今日も晴天。寒そうである。
今日の練習は午後から。それまでの時間を利用してニューヨーク市内へ。
ブランドショップが並ぶ5番街を歩き、バスに乗る。
メトロポリタン美術館へ。
フェルメール他、見たことのある絵画がたくさん展示されていた。

アップルストアー

ニューヨークのアップルストアーを見つけた。そういえば、ホテルのフロントもMacが並んでいた。Macユーザーの私はとても嬉しい気分だった。

初練習

いよいよニューヨークの練習。カーネギーホールの6Fリハーサル会場へ。
栗友会のメンバーと合流。昨年の松本公演でもお世話になったピエール・ヴァレー先生のレッスン。
ピエール先生はニューヨーク在住で、小澤先生からの信頼もとても篤い。発音、表情など細部のチェックを受ける。先生曰く「僕の指導しているメトロポリタンオペラのコーラスより上手いです。」・・・本当かな?

夜のニューヨーク

練習後、ニューヨーク市内を歩いてみた。クリスマスが近く、美しいイルミネーションで
飾られていた。
ロックフェラーセンターのクリスマスツリータイムズスクエア

12月16日木曜日

今日も午後からのリハーサル。午前中は市内を歩いてみた。ブロードウェイにはたくさんの劇場がならんでいる。タイムズスクエアは多くの人々でにぎわっていた。ディズニーショップに立ち寄ると、児童合唱のメンバーに会う。私もついこんなお土産を・・・

午後はリハーサル。栗山先生の指導を受ける。
夕方からいよいよホールのステージでオーケストラ、ソリストとの合わせ。小澤先生は体調調整のため、高関健先生の指揮で。とても大きなホールにオーケストラの音が美しく響き渡る。合唱はというと、なかなか声が前に飛んでこない。初めてのホールで戸惑っている部分もあるか・・急きょ栗山先生の指示で並び方を変更。男声を後ろへ、すると合唱はとても豊かな響きになってきた。しかしまだまだオケに押されている感じもある。明日の課題だ。メンバーは気を引き締めてホテルに戻っていった。

12月17日金曜日

午前中はホテルの部屋でのんびり過ごす。ホテルの窓からはセントラルパークが一望できる。マンハッタンの高層ビルも見える。時差ボケはほぼ解消したのだが、毎日の食事が重くて胃の調子が今一だ。きっと体重も増えていることだろう。
午後から、カーネギーホールでリハーサル。本来は小澤先生の練習の予定だったのだが、体調を考慮して夜だけになった。12時に練習室に集合し、一時間強、栗山先生の指導を受ける。先生は非常にテンションの高いレッスンをしていただき、合唱が引き締まってきた。その後、13時30分より、ホールの客席に座り、パッチセッションに参加。ブラームスの第1交響曲の一部分の取り直しである。ほんの一部分ではあったが、客席でサイトウキネンオケの音を聴くことが出来てラッキーだった。そのあと、一時間ほどホールのステージを使って合唱だけの練習。男女別々にステージにあがり、お互いの響きを聴きあった。また、全体でもホールの響きを確かめることができて、とても有意義な時間だった。
15時30分から休憩。早めの食事をとる。近くのラーメン屋さん。外国で食べるラーメンはほんとにホッとする。美味しかった。

マエストロ

19時より、オーケストラとの合わせ。マエストロ小澤征爾先生登場。
早速指揮棒が降ろされる。
ホールの空気が変わる。Requiem・・・・
指揮棒が止まる。「合唱大きすぎる・・」少々合唱団、気負いすぎたかな。
しかし、その後、マエストロの指揮から感動的な音楽が引き出される。
2曲目まで通して休憩。本番もここで休憩が入るようだ。
3番、子どもの合唱もよい仕上がりである。
今回はバリトンが昨年と違うマティアス・ゲルネさんである。彼の歌声が深く柔らかく素晴らしい。

全部を通してピエール先生からのいくつかのチェックを受ける。
小澤先生座りながらも時折立ち上がり、情熱的に指揮をしてくださった。

明日が本当に楽しみである。

12月18日土曜日

本番の日を迎えた。ニューヨークに着いてから5日目、メンバーたちはニューヨークの街にも慣れてきて、お気に入りのデリやカフェを見つけたようだ。
12時練習場集合。発声練習。今回アシスタントで参加してくれた近藤先生によるウォーミングアップ。
その後、ピエール先生によるレッスン。ピエール先生はドイツ語、イタリア語、英語を自在に使い分けてレッスンする。時々つかう日本語も実に的確だ。「スゴイです!・・・」
本番に向けての最終チェックが進む。15時、いったん解散。
私たちのホテルからカーネギーホールは数十メートル、とても近くて便利である。部屋で着替えてホールに集合できる。
18時45分、本番の衣裳に着替えてホール6階練習室に集合。栗山先生の最終アップを受ける。
いよいよ本番である。
私と栗山先生は客席へ。ホールは満席だ。カーネギーホールのキャパは2800席である。
合唱団がソプラノ歌手のゴーキーさんと入場。続いてオーケストラ、しばらく間を置いて小澤先生登場。。聴衆から歓声があがる。アメリカの人々も小澤先生の復帰を喜んでいるようだった。
椅子に腰掛けて音楽が始まる。
Requiem・・・前日のリハとは違い、絶妙な音量バランスと表情だ。客席に祈りの歌声が届いてきた。
Dies irae の圧倒的なフォルティッシモ、Lacrimosaでは涙を禁じ得ない。
ソリストたちも見事な歌を披露した。Dies iraeの後、20分間の休憩に入る。さらに5分間休憩を延長し、後半、Offertoriumから。まずはオルガンに続いて子どもたちの歌声が天井から響く。子どもたちは最上階の客席で演奏している。透きとおった天使の響きがカーネギーの丸い天井に満たされた。混声合唱のフーガも生き生きと活気あふれる演奏をしてくれた。
終曲Libera meではうめき声のように歌われる。広島、長崎の原子爆弾の悲劇を思わせる。今回、被爆国のアマチュア合唱団が、アメリカのステージで反戦の祈りを歌うことの意味の深さを思った。
最後のAmenが静かに長い余韻を残して美しくカーネギーに響き渡った。しばらくの静寂のあと、熱狂的な聴衆の喝采が湧き上がった。小澤先生は紅潮した表情で目に涙を溜めていた。
私も栗山先生とピーエル先生と登壇し合唱団を祝福。会場は総立ち、スタンディングオベーションである。それにしてもカーネギーの客席は圧巻である。最上階(6階席?)にとてもたくさんの人たちがいて、ステージを見下ろしている。子どもたちがステージ手前に登場、拍手は一段と高まった。
10分以上カーテンコールは続き、何度もステージで拍手を頂いた。
大成功。
その後、近くのバーでパーティ、オケ、合唱全員の参加、小さな店内にあふれて充分に皆さんとお話も出来なかったが、それぞれが成功を喜びあっていた。席上小澤先生が重光賞を受賞したことが告げられる。先生はお疲れでいらっしゃれず、替わりに小澤征悦さんが受け取っていた。
楽しく談笑し交流して打ち上げは終了。それぞれ続きはホテルで。私たちもホテルの部屋で2次会。朝方まで盛り上がった。

12月19日日曜日

今回のツアーで唯一の終日オフ日。私は昨日の打ち上げ疲れで昼まで休養。しかし、メンバーたちは朝から、市内観光やミュージカル鑑賞など積極的に活動したようだ。
ネットを見ると、小澤先生が80分を越える大曲を指揮して復活したと、昨日のコンサートの成功を伝えていた。
午後は私も市街地やセントラルパークを歩いてみた。クリスマス前最後の日曜日、街は買い物をするニューヨーカーであふれていた。

12月20日月曜日

帰国

帰国の朝を迎えた。早朝のニューヨークを歩いてみた。薄暗いなか、出勤する人々が行き交っていた。
ニューヨークタイムズ紙に戦争レクイエムのコンサート評が掲載されていた。-----合唱は力強いffから息で語りかけるようなpp、明晰なラテン語は見事であり、素晴らしい演奏であった。-----とても嬉しい論評であった。
私たちは13時、J.F.ケネディ空港を飛び立ち日本へと向かった。
成田には21日火曜日、16時に到着。バスで松本へ。事故渋滞もあって、結構時間がかかり、松本着は23時過ぎ、自宅には零次を回ったころ帰宅した。
時差ボケを解消しなくては‥